路線紹介

品川から浜松町・新橋・日本橋を経由し浅草・押上へ向かう路線です。京急線・京成線・北総線・スカイアクセス線・京浜高速鉄道線など多くの路線と乗り入れ多種多様な運行形態をとっております。そのため行先案内など非常に混乱する路線でもあります。また、直通先に羽田空港・成田空港があり空港アクセス路線としても機能しています。


架空歴史

Ⅰ-1:初期

 日本本初の地下鉄である東京地下鉄道は計画では品川と新橋・銀座・日本橋・上野を経由して浅草へ至る路線を計画していましたが様々な事情から新橋以南は渋谷へ延びることとなり、戦後新たに当初の計画を遂行する路線として「大東京高速鉄度網一号浅草線」の建設が決定されました。浅草線の経由する昭和通りは通行量も多く都電も多数運行される道路であり、混雑緩和の為に重要な路線と位置づけられていました。戦後各私鉄は都心への乗り入れに意欲を見せていましたが、国と都の連合組織である大東京は都市内交通の混乱を危惧しこれを阻止し代わりに地下鉄を介して乗り入れするよう求めました。そして有楽町方面への乗り入れを希望した京成、東京地下鉄道時代から乗り入れを希望していた京急が浅草線へ直通することとなりました。また、浅草線に限らず戦後の地下鉄線は直通主義によって建設されました。

 

Ⅰ-2:初期補足

 京急線-大東京線-京成線の運行系統は、表向きには大東京版横須賀線(大東京がひとりでにSM分離をやってみた)ですが、裏の顔は羽田-都心-成田の空港アクセス路線としての役割を期待されていました。今では両方の役割を果たしていますが、この計画が持ち上がった当初は成田空港の建設を巡り治安が乱れるほど闘争に発展したため大東京は隠れ隠れに事を進めたと言われています。

 

Ⅱ:中期

 1980年頃、人口が伸び続ける城南地区に東横線や東海道線・京浜東北線・京急線のバイパス路線を建設することが望まれました。かねてより大東京一号線は神奈川方面への延伸も検討されていましたが、都外への延伸に消極的な大東京は代わりに第三セクター方式での建設を提案しました。そこで都や神奈川県が出資してできたのが「京浜高速鉄道株式会社」です。1984年には西馬込に、1990年までに大口への延伸を達成しました。

 

 Ⅲ:現代

 現在では空港アクセス路線から城南・京葉地区と都心のアクセスなど役割は多岐にわたります。しかしながら、様々な経緯から1号浅草線は中心部を走る3号銀座線の計画の代わりとして出来たために少々裏道的な路線になっております。また、オリンピックやインバウンド客の増加を背景に空港アクセス線としての発展はより一層求められ、新浅草線や東京駅分岐線の構想があります。最も、JR線による空港アクセス線計画もあるため不透明な部分が多くあります。


架空設定について

1.まず、品川~押上が本線となり泉岳寺~馬込が支線(馬込線)となり、更に馬込線は馬込以西「京浜高速鉄道線」となり大口まで伸びます。泉岳寺と品川の間は特例でクロスシート車の京急2100形が入線します。

2.基本的な直通系統は変わりませんが、現実で言う毎時3本の西馬込⇔京成線系統が京浜高速鉄道大口⇔京成線となります。